事例、ゼノグロッシー
これまで様々な研究として
科学的に調査されてきている
応答型異言の事例としては、
カナダの生化学者・精神医学者である
イアン・スティーヴンソン
(Ian Pretyman Stevenson)
が報告している3例と、
イギリスの超心理学者
メアリ・バーリントン
(Mary Rose Barrington)
らが報告している1例がある。
スティーヴンソンによる3例のうち
2例は退行催眠(前世療法)時に
生じた事例であり、残りの1例と
バーリントンらが報告している1例は、
いわゆる憑依現象による事例である。
イェンセンの事例
(退行催眠時の真性異言)
1955年から1956年にかけて、
英語を母語とするアメリカ人の
匿名女性に、夫の導入による
催眠状態の中で、イェンセン
(Jensen = 姓であり名ではない)
という過去世の男性人格が登場した。
慎重なスティーブンソンは、
可能性が高いとしながらも
真偽の判断は保留している。
この事例の主人公である女性は
ユダヤ系の両親の元において
フィラデルフィアで育っている。
両親ともロシア オデッサ生まれの移民。
両親をはじめ、この女性の生育歴を
見る限り、スウェーデン語を学んだ
形跡はないにも関わらず、退行催眠中に
登場するイェンセンはスウェーデン語の
母語話者と会話をすることができた。
8回の退行催眠セッションの間に、
6〜8回ほど母語話者と直接話をした。
イェンセンの話すスウェーデン語には
ノルウェーなまりがあり、また自分の
住んでいる場所をはじめいくつかの
地名を明らかにしたが、現在の地図で
どこに相当するのかは特定できなかった。
アメリカの言語学者
セアラ・トマソン
(Sarah Grey Thomason)
による再調査では、
イェンセンがスウェーデン語話者
であることを、納得を以て断言する
ことができなかった。
対話の中で勉学に励んだと語っていた
イェンセンの語彙は100語程度しか無く、
しかもその内60語ほどは対話相手が
先に用いた語であり、さらに
スティーヴンソンのコンサルタントの
一人が指摘したように、英語との
同族語を除いてしまえば
イェンセンの純粋なスウェーデン語の
語彙は31語程度に収まってしまう。
また、イェンセンが複雑な文章を
組み立てる事は無く返答は一二語ほどで
簡単に済ませてしまう。
スティーヴンソンも認めるように、
イェンセンのお粗末な発音は、
筆記転写による正確な綴りで補われていた。
しかしながらスティーヴンソンの
コンサルタントのうち2人は彼の
スウェーデン語のアクセントを賞讃し、
またある1人は「7」の発音が
母語話者のそれと比べて
正確であると断じた。
トマソンは、欺瞞を取り除こうとする
先のスティーヴンソンの努力を認めている。
しかし、
イェンセンのスウェーデン語能力は
「店で何かを買うのに、
代わりに支払うものは?」
という質問に対して
「私の妻」と答える程度のものであった。
後に言語学者ウィリアム・サマリン
(Willam John Samarin)も
トマソンの調査結果を追認している。
グレートヒェンの事例
(退行催眠時の真性異言)
英語を母語とするアメリカ人女性
ドローレス・ジェイ (Dolores Jay)が
催眠状態にある時に登場した
10代少女の人格で、
母語話者とドイツ語で
会話をすることができたという。
ウェスト・バージニア州で生まれ育った
ドローレスは、同州の育ちで
メソジスト牧師のキャロル・ジェイ
(Carrol Jay)の妻。
教区の信者の治療のために
催眠を用いていたキャロルが
妻に催眠をかけたところ、
ドイツ語を話すグレートヒェン
(Gretchen 。マルグレーテの愛称形)
なる人格が出現した。
スティーヴンソンは、グレートヒェンの
話した内容を詳細に分析した結果、
彼女が19世紀最後の四半世紀を
ドイツで送ったと考えるのに
十分な証拠があるとした。
グレートヒェンがドイツ語を話した
セッションは19回に及んでいる。
セッションの間、彼女は1度だけ
ドイツ語の辞書を引いたが、
それ以前に206語もの単語が
自然に彼女の口から出てきていた、
とスティーヴンソンは指摘した。
トマソンによる再調査によれば、
欺瞞を示す証拠が認められた。
実は、グレートヒェンはドイツ語で
対話することができなかった。
彼女の発言は相手の質問を
抑揚を変えて繰り返すものが大半で、
その他はほんの一二語程度の
短い言葉のみであった。
また「ドイツ語の語彙は
ほんの僅かで、発音に難あり」
("German vocabulary is minute,
and her pronunciation is spotty")
とされている。
語彙は120語程度で、十分な
意思疎通ができるレベルである
400〜800語にも遠く及ばない。
しかも、憶えている語彙も、英語と
同語源でよく似た形の単語ばかりであった。
例えば、「眠りの後には何がある?
(Was gibt es nach dem Schlafen?)」
という質問に対する彼女の回答は
「Schlafen ... Bettzimmer.」
であった。おそらく英語の
「bedroom」にあたる言葉を言おうとして、構成要素のそれぞれに対応するドイツ語の Bett と Zimmer を組み合わせたのだろうが、ドイツ語で寝室は Schafzimmer であり、Bettzimmer は宿泊施設の客室を指す。
ちなみに、スティーヴンソンは
この回答を「正解」としていた。
ドイツ北東部の都市エーベルスヴァルデについては、存在しない市長の名を挙げるなど、確かな事が一つも言えなかった。
またマルティン・ルターや宗教的迫害についての彼女の発言には、スティーヴンソンでさえ疑いを持っていた。
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