家族
イエズスは、あなた方の心を
いつも見ておられるんです。
心とは魂です。
魂と心は一つです。
心の中をいつも、毎日まいにち、
あなた方が何をしてるか、何か
「善をしてるか悪をしてるか」
そんなことじゃないんです。
あなた方の「心が何をしているか」です。
どんなに仕事でニコニコして、外でも
家に帰って来ても旦那さんや奥さんが
お互いにニコニコと微笑んでいても、
本当の「心の微笑み」というものが
神に対してあるのかどうかなんです。
自分が好かれたいから、
周りに微笑みをふりまいて
自分を惹かれさせていては
「心の微笑み」ではないです。
自分が人に好かれたいから
微笑んでいるのか。
神は、その微笑みが、人にではなく、
もちろん人に微笑むことも大切です。
しかし、神は、
「自分に惹きつけて
自分に注目されたいから
微笑むのではない」と言われる。
神から来た聖霊の愛が人に伝えるための
「こんにちは!(^_^)」
といった時の、その微笑みです。
そして祈ってる時に、
涙を流しても何をしていても、
「神よこのお恵みをありがとう」
といった時の微笑み。
どんなに具合いが悪かろうが
「神様が絶対良くしてくださる」
と信じれる時の微笑み。
「微笑みになって欲しい」
と言われているんです。
神はよく言われるんです。
「ここに来ても、あなた方は、
いるものもいればいないものもいる」
という言い方をされたんです。
「ここに、ただ参加している
者たちがいる」と言われたんです。
「参加」は、
いないと一緒なんです。
「参加するだけでいい」
これは違います。
私達はオリンピックじゃありません。
体育系でもありません。
「参加」は絶対ダメだと。
行うんだったらそれは、一つの、
「神と一緒の一つの家族」なんです。
あなた方がもし、自分の本当の
家族がいるとします。それを、
会いに行くのに、本当の自分の、
自分を愛して育ててくれた親に、
「私は今日親に会いに行くのに
参加しに行きます」とは言わないでしょう。
元から家族なんだから。
それと一緒に私たちは、
神様が家族なんですよ。
天の父と母と聖霊が、
家族なんですよ。
それを「私は参加します」
という形でいたら、
あなた方は他人なんです。
神にとって他人になってしまうんです。
そこ、分かりますか?
これ、簡単なことですよね。
「参加する者には聖霊は降りない」
と言われます。
聖霊は、何度も言いますけれども、
私達は聖霊なくしては何も語れないし
何も奇跡を行うことは出来ないし
人を癒すことも神様を信じさせることも
出来ないんです。
自分の言葉だけでは絶対出来ないんです。
聖霊が仲介に入らないと、
聖霊の動きが口から出ないと
ダメなんです。
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